案外世界は単純なのかもしれない。
何も知らないようで実は大体のことは検討がつき予測もできる。
それ以外のことも起こるがそれも想定範疇。
パンデミックだって今まで起こった事がないわけでもない。
いつかは起こる。
それがいつかの問題であって、何かなんてのはあまり大切じゃない。
星の数ほどある可能性。
その全てを集めてもどこの場所か分かるわけもない。
結局心配なんてものはそのいつ起こるかに依存してる。
いつが分かれば様々な対策ができそれが安心へと変わる。
例えば、明日東京で大地震が来ます。
それがわかれば誰だって遠くに逃げるだろう。
そしてそこに不安などはない。
ただ、今回は東京か逃げなきゃなくらいだろう。
本当にそれがわかれば。
まぁ、わからないからしょうがない。
不安は生まれる。
だけどじゃあ、予測、推測、考察したところでいつが分かるのか。
わかるわけがない。
まぁ、全てわからないとも言わない。
天気予報は大体当たるし、タバコを吸ってれば肺が弱くなる。
しかし、イレギュラーもある。
天気予報はどれだけ天気予報しが考えても外れる時もあり、タバコを吸ってても若者なら何ら影響が無かったりもする。
このイレギュラーはとても厄介だ。
逆の発想で考えよう。
大地震が今日来る。
なんてのはわからないだろう。
多くの人はそう思っている。
そう思って生ている。
だって、今まで毎日地震が起きたわけでもなく今日が特別地震が起きやすいとかでもない。
そう言う経験や知識から今日来ると強く思うまでいる人はあまり居ないのではないか。
しかし、今日絶対来ないかと言われたらそれはどうだろうか。
多くの人が絶対では無いとおもうのではないのであろうか。
だって、来る確率が0%ではないからだ。
いわゆるイレギュラーだ。
いつもはそうじゃ無いがそうなる事もある。
このイレギュラーが不安を駆り立てる。
イレギュラーが今起きたらどうしよう。
そんな妄想はよく膨らむ。
よく膨らむとかつては予想してない規模になりそれがより不安と恐怖を加速させる。
たまにあるのがいけない。
その少しの可能性で僕は無限の想像ができてしまう。
本当に厄介だ。
やはり僕は絶対なる何かを求めてる。
絶対的なもの。
永遠。
それをずっと求めてる。
そのせいの不安、恐怖。
生と死も絶対。
だから、固執するのかな。
絶対が欲しい。
安心と安らぎの永遠も。