時々今生きてる現在は夢ではないかと思う時がある。
実際はどこかで寝てて、覚めたらすぐに忘れてしまうような。
そんな感覚に陥る時がある。
どんな感覚かと言われれば伝えにくいが、現実なのに夢の中でふわふわしているような感覚だ。
そんな感覚になる時僕は少しワクワクする。
この腐った日常が終わるような。
実は僕の現実はそんなに悪いものじゃないような。
これは一種の現実逃避なのかな。
なんであれそんな時が僕にはある。
感覚の話になると他にも敏感な部分がある。
それは、匂いや風だ。
匂いや風には思いでも付随している。
例えばカレーの匂い。
なんだか、実家を思い出したりする。
このようなものは割とみんなあるのではないかな。
だが、これはフワッとした思い出。
僕の場合まるでその場にいるような感覚にダイブする時がある。
例えば、春先にある生温く心地よい風。
ただの風じゃなく、感覚的に落ち着く風。
それは、3年に1度ぐらいで会う時がある程度。
その風を受けた時は僕の記憶がダイブする。
セピア色の風景。
原っぱにあるひとつの小屋。
そこで窓からの風を受ける、金髪の青年。
そんな記憶が僕の脳に直接ダイブしてくる。
多分はたからみたら意味はわからないと思う。
だって僕は日本人だし住んでるのもそんな所じゃない。
かつ、そんな場所僕は行ったことないし、そんな人も知らない。
だけど、その風が吹く時は決まってその記憶が蘇る。
あと、この感覚は幼稚園の時からあった。
多分僕が覚えてないだけで物心つく前からあったと思う。
そして僕は推測した。
この記憶は前世の記憶ではないか。
前世がその人で、その人の記憶が僕に入っている。
そんな気がする。
あと、もう一つ考え方としたら、どこかの誰かの思いが僕とリンクした。
これは、少しオカルトの話になるかもしれないが書いておく。
皆さんはアカシックウェブとはご存知でしょうか。
人々は潜在意識外でどこかで繋がっている。
それは、アカシックウェブと言われるところでそこに行けば過去未来全人類の思想、感情、歴史様々な情報があるという場所だ。
僕はそのアカシックウェブに繋がれるのでは無いか。
という説も考えている。
この説は他にも根拠がある。
僕はよく夢を見る。
しかもとても鮮明でしかも体験きたことない事ばかりだ。
見たことない文字の看板がいっぱい並んでる街に降り立つこともあれば、構造上あり得ないような学校に住んでる時もあった。
しかも、毎回夢に行けばその時のその人の記憶が入ってくる。
どういうことかとまとめると。
僕は夢の中でも過去か未来かわからないが、誰かの人生の記憶にダイブしている可能性があると言うことだ。
だから、風や匂いも僕の記憶以外の記憶がありそれが蘇るのではないか。
そう僕は分析した。
分析したのは良いが、この結果は立証しようがない。
なんせ、目の見えない話で感情や感覚の類だ。
確実なものはひとつもない。
そこが少し残念だが、何故かこの2つの説で間違い無いと思える。
何故だか知らない。
俗にいう第六感ってやつかもしれない。
僕はそれを信じる。
そんな変な感覚を持ってる僕はやはり夢の中かもしれない。
今も夢の中で生きてる。
寧ろみんな夢の中で生きてる。
僕らが目覚めたと思った行為は本当の目覚めではなく、夢の中で目覚めているだけかもしれない。
これは馬鹿にできませんよ。
だって立証できませんから。
本当にみんな夢の中かなんて誰もわかりませんから。
ただ言える事は、夢から覚めたからと言ってその現実は素晴らしいものかも分からない。
この夢かもしれない現実の方が案外いい世界なのかもしれない。
まぁわかりませんけど。